いざという時後悔しないため、身近な視点の防災情報が欲しかった
大学進学のため静岡県に来たものの、元々地震が苦手な私。新生活も早々、慣れない伊東沖群発地震に冷や汗し、翌1990年には水害も経験してしまいました。それをきっかけに、人並みに防災用品を揃え始めます。でも揃えるただけで、いざという時に「これどうなってるの?」「こんなはずじゃなかった・・・」と後悔したくはないもの。という事で何が役立つのか、いろいろ情報を探していました。
ところが既存の防災対策情報は、業者の商品紹介や通り一遍のマニュアルばかり。どれを見ても同じで、一般人が本当に欲しい情報はなかなか見つかりません。これには困りました。そこで、生業とは別に、より役立つ防災用品探しと既存の防災マニュアルの検証を兼ねて、防災用品を体験。記録を取り始めたのが今に至る第一歩です。後にその取り組みは、自然と防災行政や制度面にも及んでゆきました。
21世紀に入り、折しも自然災害が頻発します。しかし、人々の危機管理意識の高まりとは裏腹に、一般人の視点を反映した防災啓発事情に、大きな変化はありませんでした。それで、道がないなら作ってしまえ・・・と生業のスキルを活かし、2002年より市民防災ポータルサイトとして活動を始めました。
記録保管室:1990年9月秋雨前線豪雨による静岡県三島市大場川水害

1990年9月15日午前11時台 当時の我が家(三島市徳倉)から |
1990年9月15日、静岡県三島市で集中豪雨があり、当時住んでいたアパート脇を流れる狩野川水系の一級河川大場(だいば)川が氾濫しました。毎年どこかで起こるありふれた災害ですが、地域史として、また防災に取り組むきっかけになったこの出来事を、当時の写真と共に残しておきます。
その日の午前は上流地域に出掛けたものの、激しい雷と共に急に数メートル先も見えない豪雨に。やっとの思いで昼前に帰宅すると、自宅周辺は上流とは違い雨も弱く、川も普段と同じ数十cm程の浅さに拍子抜け。それで着替えたり一休みしたほんの20分後。どうも川音が騒がしいと出てみると・・・
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大きな岩がぶつかり合う鈍い音を伴い、川がいつの間にか濁流へ豹変。水位もみるみる上昇します。そのうち大雨が降り出したなと思ったら、川は護岸の低い対岸へ氾濫。幸い人は逃げ出せたものの、1階部分はあっと云う間に浸水し、上流からの流下物で削られる家も。こちら岸の水位もあと僅か。飛沫や波が打ち寄せるまでになり、いよいよ身の危険を感じて逃げ出そうという頃、消防隊員に避難勧告と急き立てられ避難をする事に。その間わずか1時間程度、あっという間の出来事でした。
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本来の河床より数メートル上段 にあったはずの浸水家屋 |

中央の家は土台と木が流失 (1枚目の家と橋の間を比較) |
幸い我が家はアパート2階だったため事無きを得るも、同じ川沿いに住む仲間の家は浸水しており、避難者と別れて暗くなるまで復旧を手伝い、その日は幕を閉じました。終わってみると、下流ではアパートが丸ごと流れ、橋も2本流失し、被害家屋約400戸・避難住民約400人を数えました。
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当時「1000年に一度の集中豪雨」(三島測候所・静岡県防災局資料)と言われたはずが、それから8年後に更に規模の大きい水害がまたも発生。もうその時は引越していたので私は平気でしたが、護岸強化と共に河床を低く掘り下げた工事が、却って仇となる皮肉な結果となりました。人の技術は着実に進歩してもまだまだ小さく、自然は侮れないものです。
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